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「セーラー服と機関銃」(セーラーふくときかんじゅう)は、来生えつこ作詞、来生たかお作曲による楽曲。薬師丸ひろ子のデビュー曲で、薬師丸主演の同名映画主題歌。異名同曲として「夢の途中」(ゆめのとちゅう)が存在する。 薬師丸のシングル「セーラー服と機関銃」は1981年11月21日にキティ・レコードから発売された(レコード番号:7DK7020)。異名同曲で競作曲でもある来生たかおの11枚目のシングル「夢の途中-セーラー服と機関銃」は 1981年11月10日にキティ・レコードから発売された(レコード番号:7DK7019)。 == 経緯 == 映画『セーラー服と機関銃』の主題歌は、もともとキティ・レコードに属する作曲者の来生たかおが歌う「夢の途中」に決まっていて、レコーディングまで行われていた。しかし、映画の監督の相米慎二が「薬師丸ひろ子に歌わせる」と、キティ・フィルム代表、キティ・レコード社長の多賀英典に言いだし、来生は楽曲のみ残して歌手としては下ろされることになった〔『FLASH』2013年8月20・27日号「薬師丸ひろ子「カ・イ・カ・ン」はいかにして生まれたのか 多賀英典氏インタビュー」〕。この件で、たかおの姉でもある作詞者の来生えつこが激怒し、あわやキティ・レコードからCBSソニーへ移籍寸前までいった。それを引き止めるため、多賀が「両方ともヒットさせる」と宣言し説得した〔『読売新聞』日曜版に掲載された記事より。〕。結局、来生の「夢の途中」と薬師丸の「セーラー服と機関銃」は、ほぼ同時期にリリースされ〔「夢の途中」が1981年11月10日、「セーラー服と機関銃」が11月21日リリース。11日違い。〕、最終的に薬師丸の「セーラー服と機関銃」とともにロングヒットした。来生の「夢の途中」と薬師丸の「セーラー服と機関銃」を合わせた累計売上(出荷)は200万枚に達した〔『読売新聞』1992年2月9日付東京朝刊2部、4頁。〕(オリコン集計では約120万枚)。 1981年10月の映画の試写会まで、薬師丸の所属事務所(角川春樹事務所)の社長角川春樹は、薬師丸が映画主題歌を歌っていることを知らなかった。試写会後に唯一つけた注文は、曲のタイトルを「夢の途中」から「セーラー服と機関銃」に変更することだった〔。 :''セーラー服と機関銃 (映画)#歌手デビュー、および来生姉弟サイドからの視点で書かれた来生たかお#一躍ヒット・メーカーへ、も参照。'' 2000年に、作曲者の来生たかおと薬師丸ひろ子は、来生のマキシシングル「地上のスピード」、アルバム『Dear my company』の中で「夢の途中」をデュエットしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「セーラー服と機関銃 (曲)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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